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こんばんは、メリです。
まだ油断ならぬ寒い日が来るようです、しっかり体を温めてますか?
快晴の中、昨日苺狩りに行きました。
場所は京都の精華町にある『 華(はな)やぎ観光農園 』、太陽が良く照っていたのでビニールハウスの中はほんのり暑いくらいでした。
◎苺の美味しい食べ方
よく言われる美味しい食べた方、知ってる人も知らない人も確認のために絵で解説。
つまり、甘みが少なく水っぽい部分から食べてから甘い部分を最後に食べる行程。
◎なぜ美味しく感じるか?
※ここからは僕の頭の中を整理するために書き留めますので興味のある方はお付き合いください。
一般的に『こうすると良い』とか『こういうことをしてはいけない』とか、重要なことからどうでもよい事まで新聞や本に溢れている。ここではよく言われる方法として僕も納得している上記について考えます。
甘くない、又は美味しくない部分を食べるのはもったいないからというだけでは無く、『美味しくない状態』から『美味しい状態』へと持って行くために必要な行程である。
計算式にするとこう
上記のようにギャップの差をいかに作り出すか。
最初のひと口で脳をだます「なあんだあまり美味しくないや」、次に甘い所を食べることで脳はサプライズを受けたように勘違いするメカニズム。次に美味しい部分を食べることを分かっているのに。
脳は言葉よりもイメージ、イメージよりも実体験を優先する。言葉で強く想うより実体験の方が威力がある。
工程の後半に味わう『美味しい』状態は少なくとも先の部分が大いに『甘い』という事実がないと幸福感は味わえない。腐っていたり、生魚の味がすると大抵の場合は不幸な気持ちになることであろう。
ちなみに究極の美味しい食べ方はこれ、

①→②の順番
白い頭の部分(ふさの緑部分が少し残ってるとなお良い)を少しかじり水臭さをよく味わう、そして先の赤い部分を少しかじってみる。この上ない幸福感を味わえた。(真ん中の部分が残っているので半減した幸福感を最後に味わうことになるが)
いちご狩りに参加している全員が真っ赤に熟れた苺ばかりを探しているため、だんだんと白っぽい部分の多い苺が残ってくるが『美味しい苺の食べ方』を実践すことにより熟れていなくても食べたときの幸福度はそんなに変わらない。
苺の美味しい食べ方の根拠は苺だけでなく色々な事に使えるし、応用すれば逆に『不幸な状態』を作り出すことも可能でシンプルな方法でもある。
僕はレストランへ行って定食なりプレートなりを注文し、美味しいと思える下位のものから食べることを無意識にやっている、美味しいと感じるものが最後に残るので同席者に「それ美味しいのに嫌いなの?」とよく言われる。
ちなみに僕の幸福を感じる瞬間は、半熟の目玉焼の黄身だけをひと口で食べること。
シェイクスピアの「終わりよければ全てよし」と同じ意味かは分からないが『終わり』に向けて最高の状態を作ってく。途中がどんなに辛くても平凡でも、最後が少しでも良ければ幸福感は大なり小なりやってくる。
人が快楽を常に求めてきりがないのはこの事が関係しているともいえる。楽しい事もそればかりが続けば楽しくなくなってくる、更に上を求めるなら、その楽しかった状態を超えるものが現れるか作り出すかしないと飽きてくる。一旦終わりにして忘れた頃に再開すると楽しかったりもする。
商売をするのにも「楽しい」→「平凡」→「楽しい」→「平凡」を作りだすことができればお客様はついて来てくれる。
◎まとめ
おいしくない部分から食べておいしい部分を食べる
ということで、苺を食べる時はこのことを意識するだけでも食べ方が更に面白くなり美味しさのコントロールも多少は自分で可能になる。
もし平凡でつまらない日常だなと感じたとき、車ではなく徒歩で目的地にいってみたり携帯を家に忘れてみたり便利だと感じるものをあえて止めてみると幸福感を味わえるかもしれない。