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こんにちは メリ です。
今日は断食について思いのたけを記事に。
※この記事の内容は僕個人の見解であり、僕は医者でも研究者でもない一般人である。この記事の内容を実行するにあたって起こりうる被害について、僕は一切の責任を負わず、個人の責任のもと行われることを理解していただきたい。
はじめに
僕は身長167センチで体重が62キロ前後、痩せてもなく太ってもいない。特別肌がきれいなわけでもなく見るからに健康そうな人でもない。
健康食品を販売促進する会社に勤めていて、仕事がら健康のことについていろいろと調べたり実際に体験したりする。
『 真の健康とは何か 』 人類の永遠の課題だ。
健康でいる状態 というのはアバウトな表現で、定規のように「ここからここまでが健康」という風に決められるものではない。
病気を治すというのは、どんな状態であれば治ったことになるのかそれもあいまいなことになってくる。
「血液検査」の数値が許容範囲になれば『治った状態』ともいうが、体がだるくて重いのに治ったと言われても不安は残るまま、逆に体も気分もはすごく元気なのに数値は良くないと言われることもある。
病気が治ることが『 幸せ 』に必ずしも結びつくとも限らない、治っていく過程で数値の改善が見られれば幸せにつながるし、改善が見られず病気のままでも『 今生きていること 』が幸せと考えることもある。
『 健康 』と『 幸せ 』の定義は各人にお任せするとして、今回の記事は僕の独断と偏見なので参考程度に役立ててみるのも良いと思う。
僕は僕なりの 最強の健康法 を持っている。今の所最強の健康法。
自分の考えをオブラートに包むことなくさらけ出すのは敵を作ることにもなるが致しかない。
今までの常識は、今現在もこれからも常識とは限らない。
食べることは娯楽
僕が断食・少食をするときは、体のメンテナンスをする時が主であり、決して修行の意味ですることはない。僕はしんどいことは大嫌いだ。
数年前に『断食』や『少食』というものが流行り、本屋の健康コーナーには色々な先生方の著作が平置きで並べられた。ニュースの一部や健康番組でもたくさん取り上げられた。
僕が断食・少食をするのは以下のような時
- 風邪かな?と感じた時
- 暴飲暴食をしたと感じた時
- 頭が冴えずクリアにしたい時
- 身の周りで風やインフルエンザが流行っている時 などなど
この理由については後述する。
三年前に断食に興味を持ち、いきなり無知のまま断食をするのは危険だと思い、静岡県の断食道場へ行った。
ここは、もし万が一何かあった時のために緊急で医療が受けられるようになっている。断食の期間は自分で決められるし、断食中食事をするしないも自分で決められる。断食道場とは言いつつも無理をすることは勧めない。
僕は3日間の断食期間を選び、断食期間を終えて回復食から徐々に普通の食事量に戻していった。このときすでに僕の中で劇的な変化が起こっていた。
『 人間の体はそんなに食べなくても平気 』
ということに気が付いた。それまで断食に対して修行のイメージがあったのに全て先入観が一掃された。
朝ご飯はしっかり食べましょう、一食でも抜くと集中力やパワーが出ません、しっかり食べないと低血糖になりますよ。
これらは必ずしもそうではないと思えた。頭も冴えてるし普通に歩いているしイライラもしない。
血糖値も気になったので一定の時間ごとに計ってみた。空腹感を感じたときは低い数値、30分ほどしてからもう一度血糖値を計ってみる、すると通常の数値にしっかりと戻っている。
これはどういうことか、食べ物が口から入って小腸で吸収されるまで2~3時間はかかると言われている。ということは、30分ほどで僕自身の体の血糖値が正常値に戻ったことは、食事をするしないによって血糖値が正常値に戻ることとはつながっていない。
よって、朝ご飯をしっかり食べなくても、一食を抜いても、食べないことによっても体はちゃんと自分の管理ができるようになっている。
血液の中の失われたブドウ糖は数分前に食べた食事から得られた物でなかったら、どこからブドウ糖はやってきたのか。
多くは体内にある脂肪から必要な分が肝臓に送られ、糖新生と呼ばれる工程を経てブドウ糖に変わり、血液へと流れて主に筋肉に使われていく。(もっと細かい話はここでは省略)
僕はこの見解に今の所同意している、体内に脂肪がある限り体を動かすエネルギーは延々と回り続ける。
このことから、我々(食べることに困らない人間)の体型からして、普段から食べ過ぎているのではないかという考えになった。
「 食べることは娯楽なのだ 」
太っていようが痩せていようが「食べないと力が出ない」のはただ単なる思い込みか洗脳によるものだと僕の中で決定付けた。食べることは娯楽と薄々感じている人もいるはずだ。
空腹により食事をしたくなることは本能的にあるかもしれない。昔々、狩りをしていた頃は、食べ物にありつけた時にしっかり食べておかないと、次いつ食事にありつけるか分からないサバイバル時代、脂肪を可能な限り蓄え次の食料までをつなぐ。
今は違う、凶暴なマンモスもいないし少し歩けばコンビニかスーパーがある。お金がなければだれかしら食べ物を与えてくれる。食べ物が一切ない家なんてほとんど皆無。お腹が空いたら、ごはん時になったら「食べないと!」は大いに違う。
現代はどうか知らないが、僕の子供のころは「三食しっかり食べましょう、しっかり食べないと大きくなれませんよ」と先生や教科書から教えを受けた。「しっかり」という言葉もまたあいまいな表現で、食べることが大好きな僕は毎食腹12分目ぐらいまで食べる始末。たくさん食べることは大きく強くなれると信じた。もちろんその考えのまま成人になった。
仮定で、お腹が空いたり食事の時間になったら「食べることが必要」だとしよう。それならば体に必要なものを摂る選択肢が出てくるはずである。
「ハンバーグが好き」「丼が好き」「サラダが好き」とは違う、好きなもの ではなく体に 必要な物 を摂る必要がある。空腹は本来、人間様の欲望を満たすためにあるのではない。
これから続く 命 をつなぐために今後必要であろう食事をするのが本来ではないか。現代人の(僕も含めて)ほとんどが『 食べること 』は自身を満足させるための 娯楽 になっていると思う理由。
腸は賢くて、脳はバカというのはこういうところからもきている気がする。
空腹感
もちろん断食を実行している間はお腹が空く。
空腹感を感じてお腹が「 ぐ~っ 」と鳴ることは僕にとって健康のバロメーターである。体が食べ物を欲してこれからも『 生きる 』事を望んでいるわけである。生きる活力を感じ取る。
お腹が空いたときは、食事をしたりしなかったりで全く食べないわけではない。食べることが好きだし食べている時間は幸せそのもの。
ただし一つだけルールを決めている。空腹のときは糖分の多いものを絶対に最初に食べない。これは科学的な根拠に元ずく前に、僕のこれまでの経験上空腹時にいきなり甘いものは良くないと認識している。
空腹時の腸は空腹でないときに比べて極端に吸収する力が強くなる。そしてタンパク質、炭水化物、脂質の中で一番吸収が早いのが炭水化物と言われていて、僕はそれに大いに納得がいっている。
空腹時に糖分を強く含むものを食べた数時間後、決まって体がかゆくなったり花粉症になったかのようにくしゃみや鼻水が出る。デートやどうしても必要な時以外はこのルールを守っている。幸い僕は甘いジュースが好きでないので甘い飲み物を摂る習慣がない。
※僕は『 糖分 』という表現も本当はこだわって書きたい、糖分とは何かはまたおいおい書くことにする。もしくは世に出回っている糖質関係の本を5冊くらいは読むことをお勧めします。
そもそも『 断食とは何か 』である、断食の定義もこれまた定規のように「何センチ」と決まっているわけでもなければ法律で決まっているわけでもない。
修行の意味で昔から言われるのは7日間断食で長いもので40日断食、「本断食とはこういうもの」という定義も人によってバラバラ。
なので、僕のいう断食を定義づけると、朝食を抜いただけでも断食ということにしている。一食を抜くと『 約12時間 』食事をしない時間ができることになる。少食はいつも自分が食べている量の大体3分の1と定義づける。
ネットで『 断食 』と入れて検索するとほとんどが「ダイエット」に関する記事ばかり、僕が誰かに「断食を定期的にする」と言うと「太ってないのに?」と言われる。
ダイエットのための断食はもはや つらい修行 以外のなんでもないと思う。ダイエットのために断食をしたことがないのでわからないが、断食をした後にどのようなプランで食事を改めていくか目標がないとリバウンドをする確率が高い。
スタイルの良いモデルの人達は『 仕事 』だからこそスタイルをキープする。事務所の契約や自分の夢の為に太れない。
断食をした後の普段の生活改善が最も重要で、一気に体に変化をもたらすのは無意識の所で体に無理がかかり、命に関わる事態を招きかねない。人間の食欲をあなどってはいけない。
ダイエットが成功する確率は低い、だからこそダイエットビジネスは流行る。ダイエットして痩せなくても好きな食べ物を食べる方が幸せを感じるには手っ取り早い。
断食の前に、何のために痩せたいのかできるだけ明確に。
断食・少食をするメリット
なぜ断食・少食をすることがあるのか。ダイエットのためでなく、修行でもなく、一般常識に反抗しているわけでもない。
大半は『 健康 』のためにしている。僕の思う健康は、
『 老後、死ぬ直前ぐらいまで自分のことは自分で最低限の事ができているように 』が目標。僕にとって今も、将来も大切。
では、どんなときにするのか。
◎引き始めの風邪を治したい時
僕は生まれながらに扁桃腺肥大の持ち主である、扁桃腺が通常の人と比べるとかなり大きく、病院で腫瘍と間違われたこともあるくらい。
風邪を引き始めるときは決まってこの扁桃腺が異様な違和感になる、唾を飲み込むだけでも気持ち悪い、固形物を食べると不快感極まりない。
こうなったら僕は水以外何も口にしない。「風邪を引いたらパワーを付けるために消化に良いものを食べよう」も全く当てにしない。むしろ食べることは風邪を悪化させるだけの何の取柄もなくなる。
いつまで食べないことを続けるか、最低でも空腹感を覚えお腹が「ぐ~っ」と鳴ってからさらにもう一食抜く。油断してはならない。そうすると扁桃腺の腫れも引いていき徐々に気分もスッキリ体が軽くなってくる。
なぜこんなことをするか、僕の中に根拠はある。後ほど。
◎暴飲暴食をしたと感じた時に調子を戻したい時
暴飲暴食は内臓の消化活動を下げるというのは簡単に想像できると思う、内臓の弱りは精神的な不安定も招くという。
口から食べ物や飲み物を放り込めば後は内臓が勝手にやってくれる。どれだけ胃や腸が荒れていても血液中の血糖値が下がれば空腹感を感じる、内臓が荒れているのにさらに食べ物を放り込むのは自分の体に対して無責任な感じがしてならない。
ただ、食べたいという理由だけで。
◎頭が冴えずクリアにしたい時
脳をフル回転で使いたいときには血液をできるだけ脳に送りたいと考える。
消化活動の最中は内臓の筋肉が働くし無意識化の所で脳は消化活動に支持を出している。もし食事をしながらパソコンの作業をしているとしたら2つの仕事を同時進行ですることになり、一転集中は難しい。
運転をしながらスマホをいじることは慣れれば難しい事ではないかもしれないが、たった一回の事故を起こすだけで悲惨な状況に陥ることになるだろう。内臓自身も無理が続けば何かしらの病気になることも考えられる。
ちらほら見かけた情報では、「消化をすることはフルマラソンを走ることと同じくらい体力を使っている」という研究者がいる。食後に眠たくなったり、注意力が散漫になることを思えばわかる気がする。体感的に疲労感を感じることはないが、もし、それが本当なら一回の食事で食べ過ぎたときたなればどれ程の体力を消耗するのか容易に想像できない。消化不良や便秘等に関係があるかもしれない。
僕はこのような考えから、頭を冴えさせたいときは断食か少食を実行する。でもこれは、修行とまではいかなくともある程度の訓練は必要かもしれない。『 お腹が空いたけど食べてない、食べなければ、食べたい』という考えが頭の中でいっぱいになると冴えるどころか逆効果、食事をして一旦仕切り直した方が良いと思う。しかし、睡魔も一緒にやってくることも避けられない。
空腹感を感じても『消化に使うはずのエネルギーが全部脳に行っている、効率よくエネルギーを使えている』と考えるか、無意識でできるようになるとストレスは感じにくくなる。これがやせ我慢のうちはストレスを感じる。
◎昼間に風邪やインフルエンザが流行っている人ごみにいた時
季節の変わり目などは病気が蔓延してる所へ身を置くことが多くなる。その場から離れ、家に帰る道順でだんだんとしんどくなってきたり、あくる日の朝に倦怠感を覚え熱を計ってみると高熱が出ていることがある。ウイルスをもらってきた可能性が高い。
このような事がしばしばあるので、僕は風邪やインフルエンザが蔓延したところにいた日の晩は断食か少食を実行する、必要なら次の日の朝も。消化に使うエネルギーを使い、体の内部に潜在的にいるウイルスを勢力が弱いうちに退治してしまおうという魂胆である。
これによる効果は毎回驚くほど高いことを感じている。
断食・少食をするデメリットはあるか
今の所目立ってデメリットを感じたことはない。強いて言えば、断食のメカニズムをよく理解せずに実行して不安感から体調を崩すくらい。
風邪も久しく引いてないし花粉もない、特に病気もない。同年代よりもアクティブに動き回ってる方だとも感じるし普段生活する分には体力も申し分ない。
消化をしないということは消化に使うエネルギーも減るので体力もそんなに減らない。疲れるようなことをしても体力の戻りが早い。
健康法は世の中にあふれている、人間の体はロボットではないので「こういう時はこうなる」という正確なデータをとるのは僕はほぼ不可能だと思う。中にはデータ通り当てはまる人もいる。
僕なりに考えた『 消化 』と『 免疫 』の関係
口から入ってきたものは、そのままダイレクトに体に取り入れるわけにはいかないので『消化』という工程を踏んでから安全な状態になってから体内に吸収される。食べたものそのままはどんなに体に良いものでも「 異物 」の扱い。
口から入って胃を通り大半が腸から吸収されるのは今の研究で分かっている。そして、吸収する腸の壁の内側には体の大半を占める免疫が潜んでいる。体の内部に外部の物がダイレクトに入ってくるので、総力に近いくらいの勢いで監視を行い、危険なものが入ってくれば排除をその場でしなければならないからだ。
おなかいっぱい食べるほど彼らの仕事は重労働になる、ひどいときは過労死に近いような現象も起こりうる。(消化不良、便秘、糖尿病予備軍など)
※ここで言う『体の内部』とは内臓の事ではなく、更にその皮の内側を指す。
よって、口から食べ物が入り消化活動が行われるときの腸に集まる免疫の数と、消化活動が行われないときに集まる免疫の数は比べてどちらが多くなるか、想像は簡単にできると思う。
次は 風邪 を引いたときの免疫はどのような働きをするか。体にとってウィルスは敵であり異物なので排除する必要がある。よって、風邪引いたときには免疫機能が働く。
『 風邪を引く 』とはどういう状態か、簡単に言うと『 風邪のウイルスが体内に入って悪さをする状態 』、そして、体はウイルスに対して傍観するわけにはいかないので退治するために体中の免疫さんたちが動き出す。頑張って排除している間は体温も上がるし体もだるくなる。
風邪のウイルスが体内に侵入したら、意図しなくても血液内などの免疫が働き排除を始める。放っておくと 命 に関わる。家に強盗が入ってきたのに涼しい顔をして何もしない人はあまりいないと思う。(恐怖で固まる時を除いて)
よって、 超重要 な最優先ミッションである。
そして、先ほど説明した『 消化 』は止めることのできないベルトコンベアーのようなもので、腸の裏側で待つ免疫達は最後の仕事が終わるまでそこから動けない。放っておけばどんどん食べ物は腐っていく。 命 に関わる。
よって消化活動も 超重要 な最優先ミッションになる。
もし、風邪のウイルス撃退と消化活動が一緒にやってきたら?
どちらも 最優先ミッション、ウイルス撃退で身を犠牲にして働き、消化で体力は消耗し、免疫達はパニック状態になる。仕事が片手間になりそれでも容赦なく増えていく仕事に対して、引き始めの風邪は本格的な風邪へと順調に悪化していく。
咳が長引くことの原因の一つ
「最近の風邪はしつこくて咳が長引くね」というようなことを聞くことがある。それは「最近の風邪」のせいだけではないと僕は考える。
咳をするときは喉になにか詰まったりして不快感を感じて「コホン」とする場合と、喉の粘膜が荒れていてその気持ち悪さを解消するために「コホン」とする場合。後者は電車の中や会議中など静かにしたいところで咳を止めようとすればするほど出る。
僕は風邪の後半に生じる『 咳 』について考えたい。これから述べるのは、すべての原因が「これだ」と言いたいのでなく、自分自身の体験で身をもって知ったことであることは理解いただきたい。
風邪を引くことにより何らかの形で喉が荒れる。傷ついている状態にあるわけで、そこを何かしらでこすることを想像すると気持ちの良いものではない。擦りむいた腕の傷をゴシゴシこするような状況と同じ。
「傷ついた喉をどのようにしてこすることができようか?」と思うだろうがこれは食事をすることで十分に可能だ。粘膜が正常な時は固形物が通過してもするりと滑っていき、いつも通りの仕事をする。しかし、傷ついている状態で干渉すると、一生けん命に修復している最中の細胞や粘膜が削り取られていく。更には、未消化の物が傷ついた部分からダイレクトに血管に入っていくことになる。
それでも喉はくじけない、体内部の損傷は体外部の損傷と比べていち早く治しておかないと後々良くないことになるので、雨風に打たれようが関係なしに昼夜修復作業にとりかかる。
なのに!
口からまた固形物が入ってきてせっかくの修復個所をめちゃくちゃにしていく、濃い味付けのものならさらに傷をつけいてく。腕の擦り傷に肉じゃがやカルボナーラをこすりつけて悪化させるようなものだ。
咳が一カ月止まらないなんて人もいる。一カ月も続いたら、僕が喉なら修復作業をあきらめて仕事放棄に入るだろう。その時は風邪をぶり返すことになるかもしれない。
この仕組みを考えてから断食・少食をするようになり、最初の頃は著しい効果を感じ、今では風邪が悪化すること自体ないので咳とは無縁だ。
まとめ
健康法というのは世の中に星の数ほどある、同じ西洋医学でも、同じ東洋医学でも流派がたくさんあり、挙句の果てには他流派を否定する事もしばしば。
何を選んで何を信じるかは、一人ひとりの体によって違うわけだから色々試してみるのが良いと思う。自分に合ったからといって押し付けるとまたいざこざが起きるので「自分はこういう事をして良くなりました」でとどめて起きたい。僕はシンプルが好きなので『 断食・少食 』が性に合っている。
自分の体の説明書は他人ではなく自分で作ってみるのも人生の醍醐味だ。