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こんにちは メリ です

今現在、過去、そして今日、あなたは幸せに生きているのか。

今日は天気がいいから幸せ。

朝から満員電車に乗って気分が悪い。

星座占いで一位だったからモチベーションが上がっている。

入籍が決まって幸せの絶頂!

もうすぐ入籍でマリッジブルー…

これらに共通するものはなんだろうか?

……

………。

これらは

外界からの影響を受けて自分の感情が作られた状況

である。

自分の感情を他人に支配されていないか?

性格は環境によって作られるというが、厳密的には

環境によって自分はこういう性格を選んでいる

のである。もし、環境によって作られることが正しいならば、

催眠術師が「あなたは鳥です」と言えば、鳥と思い込まなけらばならないし、

赤いバラを見て全ての人が「情熱的な花だ」と思わなければならない。

感じ方が同じになれば戦争も起きない、同じ解釈をして衝突することがないから。

なぜ人によって感じ方が違うのか?やはり、

環境によって自分はこういう性格を選んでいる

から。「そんな普通の事を言って、そして?」と思っているだろうか?

そしたらば、他人に否定されたり罵倒されたら不快になるのも違うということになる。

罵倒されて条件反射的に不快になるなら、条件反射的に嬉しくなることも可能だ。

ドSとかドМの話をしているのではない。雨が降ると嫌な気分になる人と、心が落ち着いて平穏を取り戻す人がいるように

本来なら不快に思うことも自分でコントロールができるということ。

罵倒されたり苛められたりして不快に思うのは、過去に

罵倒された(怒られた)×嫌な状況 を経験していまい、そのイメージが無意識に残っていることが多い。

個人的に不快に感じる時間は、将来に生かせる状況の改善にならなければただの無駄な時間にしかならないと思っている。

不快な時間を継続させることはしんどい、怒りや悲しみ、本来なかった憎しみも出てくる。関係のない人に八つ当たりまですることにも。

不快な時間が好きな人はそれはそれで良いと思う。

僕は悩める人を救いたいとか改善したいなどと思わない。言いたいことは、

『 選択肢は一つではない 』

外界から罵倒されても『不快』と『快適』を感じ分けてから選ぶ方が良いのではないかということだ。

ナイフの使い方で、人の体を傷つけることしか知らないなら、野菜を切る使い方も知ってみる。

それから自分自身が今後ナイフをどのように使いたいのか決めると人生観も少しは変わるはずだ。

性格を自分で操る

いきなり「はい、今から全ての不快なことが気持ちの良い事に変わります」と自分に念じてもなかなか難しい。

でもいつかそうなると信じて思い続ければ100%可能であると断言する。

誤解を恐れないならば、僕らの性格は誰だって何かのコピーだ。例えば、

悲しいと涙が出る

これは自分自身が『悲しい思い』を表現するのに無意識に身に付けたことである。

ドラマや映画では涙を流して表現しないと視聴者に『悲しさ』が伝わらない。ゲラゲラ笑っていると。

違和感がある。でも、『悲しい思い』をすると心の底から笑いが起こるというのがみんなの共通認識だったらどうか。

つまり、脳が『ある状況ではこのように感じるのか』と自分に言い聞かせている。ドラマや映画でもそのように演じている。やはりそうなんだ。

九九を繰り返し覚えたときのように繰り返しその情報が入ってくるので身に付けた性格は『当たり前のことになる』

そしたらば、『悲しい時は笑ってしまう』と付箋に書いて常に自分の視界に入るところに貼っておけば自分は笑う人になるのか?

なる!

最初は先入観でイメージを変えることは難しいが『悲しい時に笑ている自分』を目をつむって(瞑想でも良い)ありありとリアルにイメージする。

継続してこれができれば少しずつ人生観が変わり、朝起きた時の目覚めも変わってくるはずだ。保証する。

自己イメージを変えるというのはコツさえつかめば簡単にできるようになるし、人間関係で接するのが嫌な相手もすごく可愛らしく見えるようになることも可能。

自分の世界は自分で作ることが分かってくると思う。これは宗教的でもスピリチュアル的でも何でもない。

誰もが持つ当たり前の能力だ。

劣っているも優れているもない。

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