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こんにちは、めりです

「最近海外旅行に行ってないね」とか「フィンランドは次いつ行くの?」と言われます。

これは僕に対する「海外に行く人」「フィンランドが好きな人」などのイメージが付いてきた証拠だと思います。

発信し続けることで実を成していくんだなあと実感しています。

使命の無い人はいるのか

数々の著名人には一度「生死をさまよう」または「もう死ぬかもしれない」という体験が共通することが多い。そんな体験を経て人格が変わったり自分の使命に気付き、残りの人生を全うするんだとか。

窮地に立たされて「生きる」という本能が活性化されるのは、人間がかつて狩りをしていた時代、原始時代に野生の動物と変わらない暮らしをしていた頃からあったことだと思う。

生き延びる為に脳がフル稼働し、五感が研ぎ澄まされリミッターが外れる。「こんなことをしたら周りにどんな風に見られるだろう」なんて思う暇もない。

僕ら人間の大半は「人にどう見られるか」で動く。生死をさまよっているときに「人にどう見られるか」を考えては動かない。「少しでも長く生き延びるにはどうするか」しか考えない。

でも、僕らがいまいちやる気が出ないのは「使命」がないから。その時がくれば本気になるんだけど本気出さなくてもそこそこ生きてる。

本気出さなくてもこのまま老衰か何かしらの病気になってこの世を去る。ドラマや映画のように生きてる間にたまたま「使命」がやってきて自分を突き動かすだろう。平穏な日常から激しい波に飲み込まれていく主人公のように。

人生の「使命」、それは「命をかけられるもの」。

命をかけられるものがあれば、自分は充実した人生を送り、がむしゃらに動いて、おそらく人の為に駆け抜けてる。

命をかけられるもの

そもそも僕らは生まれた瞬間から、命をかけてるんじゃないか?

命をかけずして安全なところはこの世にはない。一歩外に出れば車に跳ねられるかもしれない、車を運転していたら常に事故と隣り合わせ、家にいても飲み水に毒が混入していて苦しんで死ぬかもしれない。

つまりこの世に生まれた瞬間から命をかけてる。羊水の中にいた時と違い肺で息をしなければいけない。この世で生きていくためには二本足で歩くなりして移動できなければいけない。意思疎通を図るために自分で言葉を覚えた、親の言いなりになってたけど言いなりになることが世の中を渡るための手段だと自分で気づいた。

すべて自分で選択してきた。誰かになんとかしてもらうのではなく「自分で何とか」してきた。その能力が元々備わってる!「誰か」が「自分」をこんなのにしたのではない。

世の中に順応しようとした結果が今の状態になってる。自分の都合のいいように自分の鎧をまとった結果が今!

その鎧を剥いでいけば「命をかけてる」自分が現れる。

命をかけられるものを探すんじゃない。

そもそも命をかけてるということに気づくほうが

早い


人生の意味の心理学〈下〉 (アドラー・セレクション)

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