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こんにちは、メリです

昨日仕事の打ち合わせで「きのこ好きなんですね」と言われ、メインの仕事そっちのけで喋り続けてしまう自分がいました。

なぜ好きなのか、なぜきのこはスーパーに並ぶお薬なのか、なぜきのこは体に良いと言われているのか、などなど説明している途中で『あっ!これを話す前にこの部分から言わねば!』と、話があちらこちら。

話すことが上手な人。尊敬してます!

キノコのことが気になる方はこちら キノコの豆知識① ☜クリックで別タブが開きます。

では本題へ。

ハンデを背負っていることに気づく

僕は先天性の難聴を抱えてこの世に産まれました。

聴力は、右耳がほぼ0%、左耳が約40%です。普通に聞こえていればもっと大きな音を拾っているのかなあとも思いますが、普通に会話をするので僕が難聴だと知るとビックリされます。

よくあることは、横並びで話すときは右の位置に、右の人がヒソヒソ話をしてきても聞き取れない、後方から車や自転車が来ていても気づかない、ハスキーボイスのかっこいい人の声が聞き取りにくいなどなど不便なことは沢山あります。

今でこそ自分の体のことがよくわかり、分別がつけられてたくましく生きているわけですが「普通との違い」を初めて知ったときは、ただただ悲しみに打ちひしがれるのみでした。

産まれてからすぐに自分で他人との違いが分かるわけではありません。でも親は大変ショックを受けたことでしょう、難聴のことよりも見た目として「右耳」が左耳に比べて明らかに小さいのですから。

僕が保育園という人が集まるコミュニティに入ったのは4歳の頃、3歳の終わり頃までは家で祖母に見てもらい、一人の時間を過ごす毎日でした。なので僕は保育園で他人との違いを初めて知ることになります。

子供はほとんどの物事に大変興味があり、4歳ともなれば分別ができて喋れる年齢です、好奇心も旺盛です。僕の耳を見た子はたいてい驚いていました。「なんかおかしい!」と口に出して言います。

人間なら誰しも初めて見るものに対して驚きや感動、恐怖を抱いたりします。僕の耳に対するみんなの反応は恐怖に近かったろうと思う。

その反応を見た僕は「普通」との違いにだんだんと気付いていきます。今から思うと4歳にしてかなり深い心のダメージを受けた体験だなあと。その頃から本来子供が持っている無邪気さが薄まり、大人しい性格に変わりました。

子供なのでショックを受けた時の事を親や先生に表現しようとしても、語呂が少ないので表現の幅が狭く、ただ泣いてるだけで伝わらない。目の前の子供がなぜ泣いてるのかわからない時ってありますよね、そんな子供と同様に映っていたと思う。耳が悪くて聞こえにくいのがわかるのは僕だけ、この悲しい気持ちを他の人にわかってほしいけどわかってもらえないもどかしさ。

そんな「保育園」というコミュニティに入って最初に受けた洗礼により、僕の周りの目を気にして生きていく人生が始まります。

その頃の体験がなければ今のたくましい僕はなかったことだろう。

『かわいい子には旅をさせよ』ということわざがある。いつまでもかわいいからと甘やかすのでは無く、社会に出して世の中の渡り方を自ら見つけ出す術を身に着けさせる。これは本当にそうだと思う、かといって家の中で厳しくする必要はないと思うし、褒めて育てることもする必要はない。

自分(親)がこの世から明日いなくなってもこの子がやっていけるようにしたいのならば、自分(親)に依存させないようにするのが手っ取り早い。それをするのには勇気がいることだが、誰のための人生か?である。

自分が生きて学んできた人生は、いくら血がつながっているわが子でも同じやり方が通用することはまれだと思う。そもそも「罪悪感」を感じる原因として親や教育者に過去に怒られたからというのが多い。例えばゴミを道端に捨てる事を怒られた過去の記憶で「罪悪感」を感じ、なぜゴミを捨ててはいけないかその本質がわかってないこともある。道端にゴミを捨ててどんな仕打ちを受けるか、環境にどんな影響を与えるかを知るのは本人の生きていく人生に置いて学びで受けられることであり、怒りで方向性を示すものではない。

そんなわけで、ハンデを背負っているということも自分以外の人がどのようにもできることではなく、本人が現実を受け止めてコンプレックスとすることも、世の中を渡る武器として使うことも自分で選択していけるのである。

 

 

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