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こんにちは、メリです

僕は生まれつき難聴のこともあって「人の輪」に飛び込むのが今でも大の苦手でした。スーパーコンプレックスです。

一番の理由は相手の言ってることが聞き取れない事がたくさんあるからです。一対一なら聞き返すことで何を言っていたか最終的に理解を示すことができるのですが、大勢だと聞き直す余裕なく話が次々と進んでいきます。

僕一人の為に話題がいつまでも進まないなんて皆にも僕にとってもストレスになりますし、カフェなど大きな声で話せない場なら尚更話し合いはやりにくいことでしょう。そんな経験は物心ついたときからずっとで、一人でいる方がよっぽど楽しくて嫌な思いをしなくて済みます。でもあえて僕はそこに飛び込んでいきます。

補聴器を付けることも考え一時期は装着して生活をしていたのですが、全ての音が大きくなり聞きたい音を聞き取るのは難しく、もともと体にないものが付いてるというのは人間の体にとってとてもストレスを感じるものです。

でもあることをきっかけに「 苦痛 」という概念が無くなりました。

挑戦することの楽しさ

どうあがいても「今」この世に生きていることは覆しようのない事実で、元気でも病気でも悲しくても楽しくても刻一刻と時間は経過していきます。

それなら、どうせなら楽しく生きた方がいいじゃないか!という意見に僕は必ずしも賛成ではないです。どんな風に生きるのもその人の勝手だと思っているからです。お金をもって死ねないけど感情をもって死ねるとも限りません。

今の研究で分かっていることは、人間の体は約60腸個の細胞でできていて、その中に染色体やらミトコンドリアらが細胞の数以上にいます。それらが円滑に仕事をこなしては生まれ変わり人間は成り立っています。人間という単位は一つのグループに過ぎないのです。

ミトコンドリア  WIRED参照

ミトコンドリアからすれば人間の体はとてつもなく大きなもので、僕らからすれば宇宙規模そのもの、地球は赤血球のひとつかもしれません。そんな小さな小さなミトコンドリアが一人悲しんだり絶望感を味わっていようが人間の体には全く影響もないし知ったこっちゃないのです。さすがに体の全ミトコンドリアが絶望感にさらされると人間本体は危機に瀕しますが。

つまり、なにが言いたいかと言うと、自分が思ってるほどまわりや世界は自分の事気にしてません。周りの人も自分自身のことで精いっぱいです。他人の事を余裕もって見てられる人ってよっぽど気持ちに余裕のある大金持ちか、「すんごい優しい心を持った良い人」です。

あなたが大金持ちでなくて他人の事が気になるならばあなたは「すんごい優しい心を持った良い人」であるはず。

そして自分自身のちっぽけさに気付けたなら、怖いもの見たさで苦手なことに飛び込んで見るのも手です。一人で飛び込んでいるように見えて60兆個×500個のミトコンドリアがあなたと共にいます。独りぼっちじゃありません。

苦しい事が深く深く長時間に渡って続けば続くほどある日ふと見上げた空が青かっただけでこの上ない感動が味わえます。そんな特権をすでに持っているのです。

広い広い宇宙に自分の存在をアピールするまでもなく感動は自分の中にありますよ。

なんとなくでも僕の伝えたいことが理解してもらえたらいいのですが、どれだけでかいことしても、大迷惑なことをしても大きな視点からみればこれっぽっちも大したことがないのです。

色んな事して試してみてから自分が今後どうやって生きていくか考えるのもいいでしょうね。

自分の体は一つしかない状態で「視点」を変えるというのは非常に難しいわけですが、「ホートン」という映画はマクロからミクロまで色々な視点からキャラクターが描かれ非常によくできています。アニメなので子供から大人まで見やすいです。そして生きるヒントのようなものも隠されていますのでご自分の目で確かめてみて下さい。

 

 

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